The Power Comes from Inside

CASE: LEAF BUSINESS UNIT
車両開発主管

  1. HOME
  2. MEET OUR PEOPLE
  3. CASE: LEAF BUSINESS UNIT 車両開発主管

LEAF BUSINESS UNIT

実は、『リーフ』は日産初の電気自動車ではない。90年代初頭から電気自動車の開発に携わってきたH.K.が、過去に『プレーリージョイEV』『アルトラEV』『ハイパーミニ』といった電気自動車を世の中に送り出してきたからだ。そんな電気自動車の第一人者が、リーフの開発責任者に任命された。リーフをグローバルに展開する量販車として成功を収めるために、どのような責務を全うしたのか。その事実に迫った。

H・K

ゼロエミッション事業本部
ものづくり・クオリティー本部
車両開発主管

電気自動車の開発・量産に費やしてきた
約20年という歳月

1990年、米国のカリフォルニア州で ZEV(Zero Emission Vehicle)法が制定され、1998 年から、自動車メーカーが州内で販売する自動車の2%は無排気ガス車とすることが義務付けられた。これを受け、H.K.が電気自動車の開発を任じられたのは、91年1月。実に20年以上も前の話である。当時は鉛電池しかなく、航続距離が短いという壁があった。そこで新たに導入したのが、エネルギー密度や寿命に優れたリチウムイオン・バッテリーだった。

どこまでも地球を思い、
どこまでも感動を追求したクルマ

CO2ゼロ・排気ガスゼロの社会を目指すゼロ・エミッションのもと、リーフの開発は始まった。「しかし社内には、EV戦略は本当に大丈夫か?といったような空気があったのは事実です」とH.K.は振り返る。というのも、何十年も昔から電気自動車の可能性を探り続けてきたが、EVは何度となく登場しては消える、という歴史を繰り返してきたからだ。H.K.はこう続ける。「リーフに乗ったら、もうガソリン車には戻れない。そう思わせる圧倒的なクルマを作らなければならない責任を感じましたね」。そのためにH.K.は、社内のモチベーションを上げることにも注力。できるだけ多くのスタッフが実験車に乗れるよう、イベントを多数開催した。「社内の人を感動させられなければ、世の中を感動させることはできないですから」。また、“現時点で足りないことをどう挽回していくか”を視える化し、今後の課題について語るときは明るく努めた。常に前を向いて、上を目指す。そんな空気をつくるための行動だった。すると、社内の雰囲気は一変。やってやろう、世界でリーフを成功させてやろう、社内はそんな気概で満ち溢れていた。

これからもやるべきことが多い、ということは、
それだけ楽しいことが多い、ということ

リーフを世界で初めてグローバル展開させたH.K.は、ゼロ・エミッションの未来についてこう語った。「今後は、電気自動車におけるニーズの多様化に対応していく必要がありますし、商用自動車としての活路も見出していかなければなりません。また、電気自動車だけではなく、燃料電池も含めた戦略で、日産はゼロ・エミッションを実現させていきます。本当に、やることが多い。多いけれど、ものづくりの人間にとってそれは喜ばしく、楽しいことなのです」。世界でもトップレベルの技術者が多く集う日産。難易度が高く、かつ新しい技術をもって、日産はこれからも、まだ誰も辿り着いたことのない世界を目指していく。

GOING FURTHER

/