Interview

企画本部の仕事とキャリア

Program Directors Office

Y.O.

Senior Program Manager

2006年 新卒入社

My career

ルノー財団のプログラムで修士号を取得し、アライアンスの枠組みやインターナショナルな環境で働きたいと考えた時に、ルノー社出向中の日産の方から直接話を伺う機会があり興味を持ちました。入社後は生産管理部門でさまざまな業務に携わり、2014年にルノー社との車両生産計画プロセスベンチマークプロジェクトにアサインされ、2015年からルノーSCMに3年間出向しました。2018年帰任の際、会社のビジネスにより深く関わりたいと考え、現在のプログラム・ダイレクター・オフィス(以降PDオフィス)に異動し、現在に至っています。

PDオフィスに異動しようと思った理由は?

PDオフィスは経営層に近く、会社の中で何が起きているのかを一番早く掴める仕事だと思ったからです。日産自動車というBtoCの事業会社で大規模な投資判断に関われるという点も非常に魅力的でした。
PDオフィスでは、各PDが一つの車種の社長として、次期型モデルの企画や現行モデルのライフサイクル提案を取りまとめ、経営層に提案しています。具体的には、クルマの企画から生産・販売に至るまでに存在する数多くのマイルストーンごとに、商品企画や開発をはじめとする社内のさまざまな部門と協力し、商品/収益計画立案と経営層への投資提案を行っています。一つの提案が数百億円から千億円超になることもあり、大規模な投資案件に関われる点が大きな特徴です。
また、魅力は投資規模だけでなく、クレイモデルを前にデザインやコストの論議をし、市場投入後のお客さまの反響を確認した結果を次モデルの企画に反映できるなど、お客さまにお届けする最終製品の意思決定に関われる、自動車会社ならではの特別なポジションであることにも、大きな責任とやりがいを感じます。

これまでのキャリアと異なる領域ですが、
すぐにフィットできましたか?

PDオフィスの仕事は、最初から特定の専門知識がなければ始められないというものではなく、それまで培ってきた知識や経験を踏まえ、実務を積み重ねていくことでフィットすることができる仕事だと思います。日産自動車の人事制度やダイバーシティに富む風土もキャリアパス形成に追い風となり、比較的スムーズに業務になじむことができました。
異動当初は現行車種を担当し、短いスパンでさまざまなプロジェクトの提案や意思決定に関わりました。どのプロジェクトもルーティーンのように取り組むことはなく、常に新しい課題にさらされるため、自ら考え推進させなければならず、随分と鍛えられました。現在は、より投資規模の大きい次期型モデルの企画を担当し、難易度の高い課題に対しチーム一丸となってチャレンジしています。
自分自身で選択したキャリアを歩んできましたが、自分のスタイルを確立できているかというと、現在も発展途上だと感じます。プロセスは4〜5年ある開発期間中に変化しますし、当然、社外の環境も変わります。また、各車種の社長であるPDたちはそれぞれ非常に個性的で、求めるスキルや経験も異なるため、仮に企画の上流・中流・下流過程を一通り経験したとしても、二週目はチームや状況によりまたまったく異なるチャレンジとなり、成長し続けられる環境です。
5年後、社会情勢は想像以上に変化し、お客さまの嗜好も、日産への期待やニーズ、もちろん課題も違ったものになっているはずです。次に新しいプロジェクトに取り組む時には、変化の大きさに驚き、新しい挑戦にワクワクしていると思います。次はどんな自分に成長できるのか、未来への期待を持ちながら仕事ができるのもPDオフィスならではだと思います。

VISION

私がキャリアの中で大切にしていることが3点あります。まずは、BtoCの事業会社であること、次に会社の事業規模、そして最後は、社内で人の流動性が担保されていることです。PDオフィスでは、日産自動車の特徴であるこの3点を活かして、ダイバーシティに富む環境の中で大規模な投資案件に関わることができます。
大きな変革期にあり、舵取りの非常に難しい自動車業界の中で、社運を賭けたクルマたちの企画という経営上の重要な判断に関われるのは非常に特別なことだと感じています。
ゼロからの挑戦が多く、大変さに目を向けがちですが、やはり大規模な投資企画を成功させ、新しいクルマをお客さまにお届けできた瞬間は何にも変え難い格別な瞬間です。
今後も“他がやらぬことをやる”の精神で企画部門の中で新しいチャレンジをし続け、魅力的なクルマを世界に送り出したいと思います。